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前後してしまいますが、雑誌連載分です。


被災地からのレポート 2 
文・写真 板越ジョージ


確実に被災地へ届けたい
私が9・11をきっかけにNYで発起したNPO法人JaNetに多額の義援金が集まった。今回はその一部を救援物資にかえて直接被災地へ届けることを決めた。JaNet理事会では私のその思いを温かく受け入れくれた。

今回のこの行動は、私が9・11で被災をした際の苦い経験から来ている。当時NYでは、ワールドトレードセンターの爆破で直接被害を受けなくとも、その数週間後から、数ヶ月にわたってNYの経済は疲弊した。実業家である私はそれをもろにくらった。そして会社は倒産に追い込まれ、数億の借金を背おうことになった。当時NYは危険だからと、NYへの投資はひかれ、物流も一時的に止まった。また観光地であるこの場所に人々は足を運ばなくなった。

長期的な精神的サポートが必要
実はこうした行動が特に酷かったのは日本人であったと言われている。拙著「グランドゼロ」にも書いたが、日本人観光客やビジネスマンはNY行きを軒並みキャンセルした。その理由としては、こんな時にNYに行くのは悪いというような日本人独特の遠慮があったようだ。イギリス人などヨーロッパの人々はこういう時だからこそとNYに観光に訪れ、お金を落として行った。日本人がなかなか戻ってこなかった事にイギリス人観光客が驚いていたのを覚えている。日本は今まさに同じ状況にあり、同じような遠慮がさらに日本を苦しめている。例えば、福島のラーメンで有名な観光スポットである喜多方には風評被害によって観光客が訪れない。直接的な被害がなくとも、今後はこのように経済的な間接被害が及ぶだろう。メディアなどでは叫ばれ始めたが、経済を活性化させることに意欲を燃やすような意識改革が必要だろう。

また、当時ニューヨーク市では市民の20%がなんらかの精神的ストレス病のPTSD(心的外傷後ストレス障害)などをおったという。ずいぶん大げさな数字だと当時は思っていたが、今思うと確かにあの頃のニューヨーカーは皆病んでいたと思う。現在でも、9・11の際に精神的にダメージを受け、いまだに症状が出る人を援助する内容の広告を地下鉄などで目にする程だ。そのことを考えると、かなりの長期的な精神的サポートも必要となってくるだろう。

義援金の使い道のセンス
9・11当時、日系コミュニティでも大企業を中心に多くの義援金が集まったようだ。そのお金は赤十字軍などにまる投げされたのを覚えている。地元日系新聞で寄付金を贈呈している写真がたいそうに写っていたのを思い出すと今でも吐き気がする。身近で同胞がこんなに困っているのを傍目に。日本で給料を保証されているのであれば、寄付する金があるのであれば、地元の小企業に支払う広告費や経費をカットするのはやめて欲しい。レストランでの外食を自粛するのをやめて欲しい。地元の日系中小企業の経済の振興に率先して役立って欲しいと思ったのだ。そのときの思いから、義援金の使い道のセンスというものに意識を持つようになった。あれから10年が経ち、私も地元の大きな日系組織を主宰する立場になった。私はお金を集めるだけが自分の仕事だとは思っていない。それをきちっと今必要なところに届けるところまでが私にできる大切な仕事だと思っている。

9・11、そして10年後の3・11という日は近代世紀の転換期としてこれからも歴史に残るだろう。風化させてはいけない、長期的な支援が必要だ。そのおもいで始めたのがNY異業種交流会。そして、NPO法人JaNetへ続く。あれから10年近く経つが、どんなことがあっても一度も中止することなく、毎月異業種交流会を開催している。いまさら9・11としつこいといわれても私は継続的に、この災難の教訓を忘れないという意味で続けている。それが継続的な支援だと思うからだ。

責任の重圧
さて一度目の被災地訪問では、3月22日に個人的に集めた物資を石巻市に届けた。被災後間もない頃だったので、何もっていっても喜ばれたのだろう。すべて自腹での行動だったの自らの責任のある行動で許される部分もあった。しかし今回はニューヨークの仲間から集めた貴重なお金だ。みんなの善意の責任の重圧を感じ、3週間正直すごく悩み苦しんだ。こんなに悩むのであれば言い出すのではなかったと。

どこへ何を持っていくべきか。ツイッターなどのソーシャルメディアを使って情報を拡散し、情報収集をした。その結果、地元の代議士、有力者、NPOの方々と連携を取れることとなった。しかし必要な物資は日々変わってゆく。震災直後は日本に滞在していたものの、その後2週間ニューヨークにいたので温度差にずれはないか心配だった。そして情報を集めているうちに、地元でも縄張り争いや利権争いがでてきているのではないかと思い始めた。市長と地元との利権争いなどを聞く。物資も集まっているところはあまるほど集まっているということで物資の受け入れを中止しているところもあるようだ。

商品選定の苦労 サンタクロースになったつもりで
2回目の被災地訪問を4月20日に決定する。ぎりぎりまで何の物資を持っていくか迷ったが、東京に到着する4月15日までに決めることにした。しかし、いざ物資を購入しようと大型量販店などのネットサービスを見たが、欲しいような商品は軒並み売切れていた。購入できたとしても数量に限りがある。また通常では即日出荷を売りにしている所でも震災の影響ということで5日以上はかかる為、出発に間に合わなくなってしまう。また購入が殺到しているようで、思うようにサイトも動かない。結局どこかで商品を一括買いすることはあきらめ、都内のあちこちで数万円づつの物資を購入した。これには正直苦労した。人目も気になった。買いだめをしているようでヒンシュクをかっているように感じたからだ。また、本来商売人であれば卸売りなどからいかに安く商品を仕入れるかがキーになってくるのだが、今回は経済活動もニューヨークのお金(外貨)を日本国内で消費することも大切だと思い、普通の町の小売店で買うことも社会貢献だと考えることにした。

物資の情報はいろいろ集まったが、結局、情報に錯綜されるのはやめようと思った。JaNetは夢を応援する団体。自分が海外にいて無性に食べたくなるような気の利いたレトルト食品などを購入した。復興に向けて子供たちが必要だと思われるものなど、サンタクロースになったつもりで被災者に喜んでもらえるようなものを。持っていった物資は、子供向けの文具(消しゴム、鉛筆、鉛筆削り、セロハンテープなど)、キャラクターおもちゃ折り紙、オムツ、おしりふき、スポーツ用アンダーウエアー上下、タオル、レトルト食品(パックご飯、おかゆ、各種味噌汁、カップ麺、子供向けカップ麺、カレー、アンパンマンカレー、各種スープ、牛丼、親子丼など)、歯磨き粉、サランラップ、ドッグフード、マフラー等。

流れてくるラジオから笑い声も
4月19日、レンタルした大型バンに夜中までかかってなんとか救援物資を車に詰め込む。4月20日、東京四つ木から首都高速に乗り、一路東北自動車道へ。1ヶ月前と違い一般車が往路できるので物々しさはなく、また天気もよく、桜もきれいに咲いていた。平和な空気を感じた。流れてくるラジオから笑い声も聞こえた。なんとか平常に戻そうとしている雰囲気を感じる。しかし流されている情報はとてもリアルで、被災地であることを実感する。特にリスナーからの手紙は東京では聞こえてこない生の声だった。今回の車は前回の乗用車と違い車高も高いため、段差があるたびに大きく揺れる。はじめは車のせいかと思ったが、あちらこちらで道路工事。地震のせいなのか、東北自動車道は段差がすごく多く、車が揺れまくった。

1ヶ月前の東北自動車道は緊急車両のみ通していたが今は誰でも通れる。1か月前に給油した国見SAのガソリンスタンドでは、当時上限3000円までのガソリンを給油することができた。ほとんどのガソリンスタンドが閉鎖する中とても助かった。高速道路以外の場所では、ほんの一部開業している所はあったが、ものすごい列だったのを記憶する。

国見のスタンドマンに話しかけると「福島はだいぶ大丈夫です。この先の宮城はまだ困っているようです」とのことだった。今回初めて地元の方と情報交換ができた。そして、まずは前回行ったところを再度訪問したいと思い、仙台の先の泉ICを目指した。

倒壊していたコンビニは更地になっていた
天気はよいものの宮城の温度は7度と春とは思えない寒さ。昨日はみぞれも降ったようだ。東北自動車道を下車すると大きな国道。先月はロードサイドのお店はすべてしまっていたが、今回は地震でやられていないところはオープンしていたことに心が弾んだ。復興の早さを感じ、東北の方々のたくましさを嬉しく思った。ガソリンスタンドもすべて開店していたので、ガソリンの苦労はなさそうである。1ヶ月前の状況との比較をしたいと思い、カーナビを前回訪れた塩釜市に設定。そして、松島、東松島、石巻を目指すことにした。

国道を数十分走ると、瓦礫の山であった塩釜の地震地域では、一部倒壊していた家などがあったが、すっかり平常に戻っていた。しかし沿岸部の本塩釜に入ると、依然同様信号機は消え、瓦礫の山。倒壊していたコンビニは更地になっていた。そして、津波の影響のひどい石巻は相変わらず一面が瓦礫の山。壊滅状態。1ヶ月経ち、さびが激しく、町がまるで赤ずんできたように感じる。また冠水もしていて、迂回するところも多かった。ここは状況は変わっていない。

山積みになった救援物資 
前回救援物資を届けた石巻高校の避難所を目指す。今回は、地元の方のボランティアの方々よりも沖縄や宮崎などのワッペンをつけている地方からのボランティアの方たちが多いのが印象的だった。救援物資を届けたいとの旨を伝えると、もう各避難地での物資は受け入れてはなく、一括した場所に届けるようであった。避難所である体育館に行ってみると確かに、入り口には各県から集まった救援物資が山のようにあった。こんなにカップラーメンがあっても確かに食べ飽きてしまうだろう。健康にもよくないと思う。ゴミ箱を見ると、それ以外にメーカーからの供給なのか、栄養ドリンクの空瓶やビールの空き缶などがたくさんあった。何となく殺伐としたものを感じる。この怒りのやり場のない状況で、避難地では喧嘩もたえないと聞いた。

朝9時に出発したが、ここに到着したときは午後6時前。あたりはすっかり暗くなってきた。先は長いのでとりあえず今晩いける限り移動しようと三陸自動車道へいく。これが最悪の決断だったのか。

続く

初出:月刊「アメリカン★ドリーム」2011年5月号

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by amedorinewyork | 2011-04-30 00:51 | 3・11東北関東大震災

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