被災地より
2011年 03月 24日
心配している方もいるので、ここで少し報告させていただきます。
3月11日の異業種交流会のあとに、
東京へ向かいました。
成田にはなんとか深夜にはつきましたが、もちろんのこと
その後、東京でのすべてのアポやイベントはキャンセルとなりました。
計画停電、余震に悩まされ、
東京滞在のはじめの3日間は正直いじけてしまいました。
なぜと。
でもこれは、何かの必然では、、と一生懸命考えました。
NYから毎分おきにメールが届いてきます。
あちらこちらで、イベントや義援金活動の報告などです。
NYに帰る前に私ができること。
NYに戻ったら伝えたいこと。
被災地に行こうと思いました。
しかし、被災地に行こうと思っても、交通手段も限られます。
電車はありません。バスも臨時ではでていますが、予約などとれません。
行くにはレンタカーを借りるしかありません。
しかし、高速道路は封鎖され、ガソリンも食事も手に入らないとの情報。
とにかくいけばなんとかなるかと決意し、仙台に向かいました。
ハンドルを握り、導かれるがごとく、ツナミの被害のもっともひどい、
東松島、塩釜、石巻などとへたどりつきました。
正直、想像を絶しました。言葉をなくしました。
まさに地獄絵とはこのことです。
まるで戦地です。足がすくみました。
しかし、ジャーナリストとして、涙ながらにシャッターを押しました。
トランクいっぱいに、紙おむつ、ウエットティシュ、マスク、
ホッカイロ、医薬用手袋を救援物資として持っていきました。
今回、もっとも被災がひどく、物資も届いていないという
石巻支援本部(避難所)に届けることができました。
9・11と3・11と色々と比較、考えさせれらました。
自分なりに、いろいろ思いました。。
人々にも話を聞きました。
9・11同様、現状とマスコミとの報道と伝わってくるものと
の温度差を感じました。
私たちにできることは。。
現在、仙台です。ガス以外のライフラインはきています。
ネット環境が悪いので
また改めて、皆さんにはご報告いたします。
取り急ぎ書き綴りました
by amedorinewyork | 2011-03-24 11:53 | 3・11東北関東大震災