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ニューヨーカーの条件 40回
選ばれる立場か、選ぶ立場か


私の知人に有名な演出家がいる。彼はよく言っていた。
学校では成績が悪く、進学したい学校に行けなかった。

就職しようとしてもいいところに就けない。
そして彼はどうしても人には選ばれないようなので、
選ぶ立場の人間になろうと思ったという。

確かに私も日本の大学受験は思うようにいかなかった。
当時の日本はというと、いい大学に行き、その結果いい大企業に就職するという図式しか無く、
そうでもなければ出世の道など考えられない。
ましてや、ベンチャーで成功するなんて夢にも思わなかった。

当時の私は他の人々と同様、受験勉強を一生懸命悔いなくやった。
それなのに希望校に落ちてしまった。その時私は何故かショックというより、
日本の社会には自分は選んでもらえず、縁がないものかという風に思った。
そして妙に落ち着いていた。いつか日本が自分を必要とするまでは海外で成功してやると思い、
アメリカ留学を決意したのだ。

この決意の背景には、私が中学一年から高校にあがるまでジャニーズ事務所に
所属していたという経験が大きく影響している。

当時、ジャニーズ・ジュニアといえば二〇名ほどの少人数で仲間が順番でアイドルになっていった。
私も中学三年間、テレビやドラマなどに出演をした。
それは一種独特な非日常が繰り広げられる世界だった。
一度この世界を知ってしまうと、二度と忘れることはできない。

ジュニアの子たちは誰もが皆、マッチやトシちゃんに憧れ、
派手な衣装を着て舞台に立つことを夢見ていた。

しかし不思議なことに、私の興味はどちらかというとジャニーズ事務所の社長である
ジャニーさんの存在そのものだった。

レッスンが終わるとジャニーさんのピカピカの黒塗りの大きなベンツに、少年隊や、
他のジュニア達と乗り込み、原宿のジャニーさんの自宅兼合宿所に行く。

初めて見る原宿の高級マンションはアメリカを感じさせるインテリア。

中には田原俊彦、近藤真彦、川崎真世が住んでいる。広々としたリビングルームには
見たこともない大きなテレビと、オーディオセットがあった。

バスルームは私の家の居間ぐらいの広さがあり、そこにはジャグジー、アメリカ製の
シャンプーや石鹸があった。

彼の生活、彼のステータス、そして存在感を思い知らされた。
ジャニーさんはロサンゼルス生まれの日系二世であるため、
彼のアメリカナイズされた暮らしはカルチャーショックだった。

頂点を極めた人の生活を垣間見てしまったことと、海外に対する強い興味が芽生えた。
高級感あふれる広々とした空間、嗅いだこともないシャンプーの独特の匂いは今でも
私の脳裏に焼きついている。

「天下を取るとはこういうことか」という思いが漠然と芽生え始めた頃だった。

高校受験が近づいてきた頃、少年隊のデビューが決まった。
これは次のデビューは私達の番だということを暗に意味している。
私の周りはにわかに色めきたった。

しかし何故か私の中で冷めた部分があった。
当時の私は自分の置かれた境遇を妙に客観的に分析していた。
そして気がついたのは、ジュニア時代は過保護なほど可愛がられるのだが、
デビューすると一転して使われる身分になるということ。

アイドルと言っても所詮は使われる身分。時代が終われば使い捨てられる。
それだったら自分はしっかり勉強して、ジャニーさんのように使う側になろうと。
こう考えた私は事務所をやめることを考え始めた。

そもそも自分はアイドルになりたくて入ったわけではなかったため、
この中学校の三年間十分芸能生活を味わったと感じていた。

また、人を蹴落としても、自分が出る。そんな世界に嫌気がさしていたのもあるが、
なにより一番は選ぶ立場か選ばれる立場かを、少年ながらに意識してしまったからだ。

今思うとこれが私の成功志向の始まりだったのか。
元々家庭が貧乏だったこともあり、それとは恐ろしいほどに鮮やかなコントラストを見せる
ジャニーズの世界が、私を何か大きなことをやってやりたい、成功者、勝ち組になりたい
という強い思いに駆り立てることとなった。

中学時代は芸能生活が忙しく、ろくすっぽ勉強をしていなかった。
このままでは世間を知らない教養の無い人間になってしまうという焦りが高校受験を決意させた。

私はとりあえず三か月間ジャニーズを休み、死に物狂いで勉強をした。
その結果希望の高校に受かったのだ。

その後一度は芸能生活を再開したが、すっかりこの世界への興味は薄れてしまい、
高校入学後しばらくしてジャニーズをやめることとなった。

テレビでは自分の同期が光GENJIとして華々しくデビューしていた。
辞めた私は悔しさを禁じえなかったが、その反面、将来彼らを超えてやるという成功志向的な
強い野望を抱いた。

この頃私が子供ながらに考えていたことは、たった一人の人間の意向で人の人生が
大きく左右されるという残酷さ。

ジャニーズ事務所で言えば、ジャニーさんの決定でデビューするもしないも決まってしまう。
それは誰も教えてくれないがとてもリアルな社会の縮図だった。
私は人に左右される側ではなく、する側になりたかった。

若い時はどうしても、すべては誰かに環境を支配され、自分で何かを決めたくても
否応なしに決められてしまう存在である。

自由とは何かと考えたとき、やはり人に選ばれる立場よりも自分で選択した道を歩みたい。

私は自分で決めた生き方をしたい。そのために起業もした。
そんな折に知人の演出家の言葉を聞き、自分と同じように考えて生きてきた人が
居ることに勇気づけられた。

自分を見つめなおすということにおいては、ニューヨーク生活はここちよい。
人に左右されずに常に自分の立ち位置を感じながら生きていける。
ここでは他人に干渉されることはない。

リスクさえ恐れなければできる。自分で選んだ道であれば後悔もないはずだ。
また、自分で選んだ道だから、そのことを大切にでき、余裕をもってことにあたれるだろう。

初出:月刊「アメリカン★ドリーム」2011年3月号

by amedorinewyork | 2011-03-09 14:18 | ニューヨーカーの条件

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