世界の貧困地帯を歩く
2010年 03月 21日
より抜粋
ストリートスマート67 貧しくとも美しい自然と人々
世界の貧困地帯を歩く
アメリカの大学の夏休みは三ヵ月、冬休みは一ヵ月ぐらいあった。
ボクはこれを利用して、世界各国の大学に短期留学しながら、いろいろな国を歩いた。
訪れた国はおよそ三十五ヵ国ぐらいになるだろう。
どんな国に行ったかといえば、紛争が起こっている国や貧しい国に好んで行った。
友人から、
「なんで、そんなとこに行くんだ。命がないぞ」
と忠告されたが、不思議な魅力があった。
もちろん、生活費が安いのも魅力ではあったのだが・・・・・。
南米のグアテマラでは、政府軍とゲリラが内戦を展開しており、
街は破壊され、殺伐(さつばつ)とした雰囲気がただよっていた。
グアテマラ市の大通りを歩いていたら突然、頭の上からガラスの破片が降りかかってきた。
とっさにバッグでふせいで事なきを得たが、物騒この上なかった。
この街のホストファミリーの家で、おもいがけない光景を目にした。
「食事の時間だよ」という声で、そのうちの兄と妹が集まってきたのだが、
兄は私たちと居間でテーブルにつくのだが、妹は使用人と台所で食事をする。
料理も歴然と差がある。
まるで昔の日本のように、身分差別や男尊女卑がまかり通っていた。
いきすぎるぐらい男女平等の国アメリカからきたボクはびっくりした。
ロシアの貧しさも歴然としていた。
市場経済を歩みはじめたロシアには、物がまるでなかった。
あるときロシアの大学の先生と学生たちで食事をしたことがあった。
ステーキがでたのだが、ほとんどが脂身なのでアメリカ人の学生がステーキの大半を残した。
ところが、これを見たロシア人の先生は驚いたという表情で、
「もったいない。脂身には栄養がいっぱいある。これを食べないなんて考えられない」
と言うではないか。
デザートは、もっとすさまじい。
パンの耳にジャムがぬってあるだけの、しろものなのである。
彼らはこれを、実においしそうに食べていた。
ボクも貧乏で、食うや食わずの生活をしていたが、彼らの貧しさは想像を絶していた。
でも、悲惨さばかりではない。
グアテマラもロシアも、自然はとても、きれいで、人々は素朴だった。
「どんなに貧しくても人間は生きていける」と素直に感動できた。
とにかく、どこかの会社にもぐりこむための77のヒント 扶桑社刊 1998年
(P168,169)
http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4594025986/
http://amedori.net/about/kanren_77.htm

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by amedorinewyork | 2010-03-21 06:45 | 著書より抜粋