ニューヨーカーの条件 第22回 「頑張りはいらない。ただ無心に続けることの大切さ」
2009年 09月 08日
「頑張りはいらない。ただ無心に続けることの大切さ」
もうじきあの日がやってくる。NYの人々にとってあの日とは
9・11だ。私もあの日を境に人生が大きく変わった。
今だから言える事だが、テロ後まもない頃、ソーホーに構えて
いた事務所の家賃が払えずにいた。
この頃は鬱もあり、寝つきは悪いが一度寝ると朝なかなか目覚
めることができなかった。そんな日々が続いていたある朝、
社員から一本の電話がきた。
「社長、マーシャル(保安官)が来て今すぐ、事務所を立ち
退けと言われています」。
マーシャルたちは有無を言わせぬ態度で、家賃未納を理由に事務所
の鍵を取り付けなおした。そして当時十数名いた社員達は強制退去
させられてしまった。
かろうじて機転を利かせた社員が会社のデータのバックアップCDを
持って出た。
1時間後、私は社員達と会社の下のコーヒーショップで落ち合った。
社員達の眼差しが私を軽蔑しているように感じて痛かった。
「これから、どうするんですか」。社員たちに詰め寄られ、情けない
やら悔しいやらで涙すらでなかった。
頭の中は真っ白で、どうしたらいいかなど考えられない。
数日間はビジネスホームレス状態。
しかし、なんとかなけ無しの金でワンルームのアパートを借りること
ができた。
ただ、奇跡的に保護したデータのバックアップCDは、追い出された
その日にコーヒーショップで置き引きにあうという不幸が重なり、
結局一からのやり直しとなった。
ネットバブルで数億単位の資本金を調達し、起業家として華々しく
やっていた。しかし、そんな自分ともお別れだと思い、足に会社の
ロゴのタトゥーをいれたりした。起業家であった自分と決別する思いだった。
気がつけばいつも死に場所を探していた。自暴自棄と引きこもり。
人目につくのを極端に恐がり、外出時に帽子とサングラスは必携。
人目につくようなことは決してしなかった。
そんな失意のさなか、とても人を応援できる立場ではなかったが、
9・11をきっかけにNY異業種交流会を開催するようになった。
矛盾しているようだが「頑張る日本人を応援する」という名目で
始めた交流会が逆に私を支えていたように思う。
毎日のように夜逃げを考えていた私は、交流会の度に「今回が自分の
お別れ会だ」と思って続けていた。それが今回で76回を数える。
異国の地でこのような会をコンスタントに継続するのは大変だった。
爆破事件、大雪などの事故や天災で人の出足が極端に減ることもあった。
開催する側の私自身も、大事な存在と死別し、涙で目を腫らし
サングラスをかけて参加した時もあった。それでも何があろうと
一度も欠かさずに毎月開催することを続けてきた。
ゴールが何かを描いたわけではなく、続けていけば必ず何かが見える
だろうという思いが私を動かしていた。
そのような状況の中で、私はこんな考え方を身に着けた。
「何も考えないで気楽にやろう。自分のことだけ考えて、
流れに身を任せればいい」。
何かやろうとか、無理に変えようとか思わないで、自分の気持ちが
楽になることだけ、好きなこととか適当に、いい加減にやってみよう。
先を不安がることはやめて、結果を求めず、ただ無心に今の事を続け、
嫌なことはやめる。
頑張りはいらないから、今をいい加減にでも継続だけさせればいい。
先に何があるかということは考えない。
そして、自分に無理せず、焦らずと言い聞かせた。
行き詰まった時の精神的な落ち込みは、頑張ってきた分の反動だと
考えるようにした。
私だけではなく、ほとんどのニューヨーカー達はあの日を境に人生を
転換させられたに違いない。
皆それぞれの心の行く先を模索し、何かをつかんでいった。
やっていることに不安を持たずに、自分を信じて、先に何があるかは
分からないが、ただ無心に今のことを続けることの意外な大切さは、
私がつかんだことだ。
初出:月刊 「アメリカン★ドリーム」 2009年9月号

イベント情報
@New York
9月11日(金) NY異業種交流会 「ニューヨーク・スローライフとは」
9月10日(木) ABPSビジネスセミナー 「NYで起業する!」
@東京
9月25日(金) 東京NY異業種交流会 ミニライブ&トーク 庄野真代
mixiやってます。「ニューヨーク会」で検索して下さい。

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by amedorinewyork | 2009-09-08 08:04 | ニューヨーカーの条件