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以前書いた原稿が出てきました。
丁度、同じ頃なので掲載します。

「9・11とニューヨーク日系コミュニティーの今後」


パネルディスカッション
岩谷英昭氏(米国松下電器前会長)
川野作織氏 (コーリン社長)
櫻井本篤(在NY日本国総領事大使)
谷村啓(テレビジャパン社長)  (五十音順)
進行・文 板越ジョージ(アメ★ドリ発行人)


世界を震撼させたあの惨事から6年が経とうとする。一時、もうこの世の終わりと思ったが、しかしNYは強かった6年前よりさらに強い輝きをもち、世界の大都市として君臨している。

あの日、あの時何を感じたのか。あの日を体験した日系コミュニティーのリーダー達にお集まり頂き、9・11と日系コミュニティーの必要性について語ってもらった。


それぞれの9・11、あの時

板越:9.11の当時、皆さんは何をされていましたか?

櫻井大使(以後大使):あの時は米国三菱商事の副社長をしていたので、ミッドタウンの事務所にいました。幸い、社員やその家族や親戚を含めて被害者はいませんでした。しかし翌々日、グランドセントラル駅で爆弾がしかけられたという誤報を現地人秘書が耳にし、目に涙をいっぱいためて出勤してきました。そして翌日から彼女はマンハッタンに来られなくなりました。3ヶ月の猶予与えましたが、結局、彼女はそのトラウマで会社をやめました。

板越:谷村さんは当時、NHK米国総局長をされていましたね。

谷村:あの日は国連で平和の鐘を鳴らす日であり、私は、当時は取材に行く予定でした。丁度、自宅でシャワーを浴びているときに一報を聞きました。すぐにミッドタウンにあるNHKのスタジオに行き、それから1週間は寝ず  に取材となりました。今の勤務先であるテレビジャパンはグラウンドゼロの目の前、150m先のところにあります。その時に遭遇した社員は9月が近づくにつれ思い出すようです。現在テレビジャパンでは、9月11日のあの時の2時間は自由時間にしています。あの時は情報がなく苦労しました。情報も錯綜しましたしね。最初の4日間は全く応援がなかった。飛行機も飛ばずで。

大使:電話も繋がらなかったですね。実は、あの日私の母親が亡くなったんです。飛行機が飛ばなかったので帰るに帰れず、葬式にも出席できませんでした。この日は命日と重なっているので、忘れたくっても忘れられないです。

板越:当時、岩谷さんは米国松下電器の社長をされていましたね。

岩谷:あの日は、私は川向こうのシコーカス、NJにいました。第1報は秘書から知らされました。1機目が突っ込んだ時に社内がざわつき、2機目が突っ込むと、叫び声と悲鳴があがりました。川向こうなので、会社からWTCは見えたんです。11時頃に役員召集をしました。当時、米国松下には1万2千人の社員がいましたから、どうするか話し合いました。法務部役員は、「すぐに会社を閉めるべきだ。でないと、何かあったら訴訟されてしまう」。人事部役員は「今閉めたらお昼のカフェテリアの食材4-5千ドル無駄になってしまう」。それぞれの立場で発言していたのです。間をとって社員達は12時に帰社させることにしましたが、私は3時まで安否確認などで事務所に残りました。

実は、私のパニックは帰宅してから始まったのです。なんと家内が緊急救命隊に属していたので駆りだされていたのです。テロと言ったら映画でみるようなものすごい場所だと思っていたので、気が気でなかった。家内は怪我人を運ぶために、NJの対岸で被害者が運び出されるのを待っていたようです。結局、無事に夜の9時過ぎに帰ってきました。

板越:川野さんの会社はWTCの目の前でしたよね。

川野:私の会社はWTCから南4ブロックの所にありました。朝8時から出社していたので、後から出社した社員が「WTCから火が出ている」と教えてくれたのです。「どうして、あんなところから火が出ているのか」と不思議に思いつつ、煙を見上げていました。会社にはラジオもテレビもないので情報は入ってきません。日本に住む母親や、娘の学校からの電話でことの重大さを知りました。2機目が追突し、9時半に社員が全員集まった所で、社員には帰ってもらうことにしました。みんなが家に帰ったら自分も家に帰る予定でした。しかし、倉庫にいた社員が棟が倒れるのを目撃し、慌てて私達に「もう危ないから早く逃げたほうがいい」と言ってきました。外に出ると灰で真っ暗。また炎でとても暑く、息ができないほどでした。どうなってしまうんだろうと息を潜めて事務所で待機していると、ポリスが「早く逃げろ!早く逃げろ!」」と叫んでいるのが聞こえました。4人ほど残っていた社員で、急いでシャッターを閉めて、無我夢中で逃げました。辺りはまるで、火山が噴火した後のような場所でした。ウエストブロードウェイからカナルストリートまで慌てて走ったところで、後ろを振り返ってみると、血だらけで歩いている人達がたくさんいました。ミッドタウンの家まで、6Aveを歩いて行きました。途中、テレビのあるところは人が群がっていました。戦争になってしまったんではないか、どの国が攻めてきたんだろう、ペンタゴンもやられた、ペンシルバニアでも飛行機が落ちた、大変なことになった、と思いました。食べ物が無くなるかもしれないと、お豆腐を買ったり、クロワッサンを買ったり。よっぽど気が動顚していたんだと思います。あの後は地盤沈下でWTCの周りの5棟くらいが崩れ落ちたようです。事務所のビルは本当に近かったので、崩れてしまうではないか不安でした。結局、翌週の月曜日から、私の自宅を仮事務所にしてビジネスは再開しましたが、年内は事務所に入れてもらえませんでした。年が明けてようやく、事務所に入れるようになりましたが、社員達は吐き気や頭痛でとても働ける状態ではなかったです。私自身も衝撃が強かったのか、9・11の1年目のメモリアルが近づいた時、1週間は頭痛がとまりませんでした。

(一同、当時を思い出して、数秒間無言)

板越:9.11を経験して、どのような心境の変化がありましたか。

川野:一番の変化は、アメリカの市民になろうと思ったことです。今までは、グリーンカード(永住権)で事足りていましたが、市民権をとって、もっと所属したいという強い気持ちが起きました。こんなことは二度と起こって欲しくないですが、人生を考え直すきっかけになりました。

谷村:こんな国からでたいと逆に思わなかったですか?

川野:アメリカ人と、気持ちだけではなく、立場も含めて共有したい、所属したいと思いました。その時に、日本へは帰らずにアメリカに残ろうと決意しました。心はここにあると確信しました。なんか背中を押されたような気がしました。それが私の9・11ですね。

当時は、現地に住む日本人は無視された

板越:確かに、一緒に生き残った感じがしますよね。国とか民族とか人種を超えて、1つの事件をいっしょに乗り越えたという感じがありますね。この事件を通して、アメリカの偉大さを感じたのは、民族、人種に関係なく、災害にあった人にエイドを与えてくれたことですね。

大使:どんなエイドですか?

板越:私は災害ローンなどを享受しました。

大使:そういうのは、日本政府は何もなかったんですな。

板越:そうですね。

大使:参考までお聞きしたいのですが、当時、なぜ総領事館があんなに強く非難されたのですが。門前払いを食らったとか聞きますが、「どうせお役人だから態度悪いんでしょ」ということを強く持たれたんですかね。

板越:企業の駐在員と現地の日本人とで、対応に差があった気がします。実際に、日本の安否確認の報道を見ても、駐在企業ばかりで、例えばWTCのコンコースレベルには「めんちゃんこ亭」など日本人の経営するレストランがあったのに、安否確認の報道はでていませんでした。当時の地元の日系新聞ですら、大企業中心に記事を掲載していて、困っている現地の日系企業や団体、個人に対する情報はほとんどありませんでした。こちらで長く住む日本人は、どこに所属しているかわからず、無視されているように感じました。こんなときこそ、大企業の人々は日本食レストランに出向き、日系のサービスを積極的に利用してほしかったです。我々出版社の広告も、まず大企業から切られました。駐在員の人でも例えば家族は日系フリーペーパーや日本語放送をみて情報を集めているわけです。それらは企業の広告などのスポンサードがあってのこと。もっと、会社のフィランソロピーとして、困っている同胞を助けて欲しかったなと思います。領事館などには、6月3日に行われた*「ジャパンデー」の時のように、地元民を一致団結するようなムードを作って欲しかったです。

当時、「グランド・ゼロ」と言う本を書いていたので、アメリカ人やヨーロッパの人達に取材してまわりました。イギリス人やカナダ人などは、「こういう時だからお金を使おう」と言ってNYに足を運び、積極的にレストランで外食をしたり、ブロードウエイのショーを観に行ったりしました。

大使:なるほど。それは是非取り入れてもらいたいですね。

板越:今まで、「NYは大好き」と言っていた日本の人達が、手のひらを返すように「なんでNYなんかにいるの」と言って、急にNYを敬遠し始めました。

谷村:それは、日本人の国民性なのかな。あの時、NYへ観光客が来なくなった、出張をとりやめたのという姿勢を、非協力的な見方というのもできないんじゃないかな。

大使:しかし、他の国はあえて来ていたというのは事実だから、それとの対比ということであれば、私は板越さんの意見もわからないことはないですね。

川野:能登で地震が起こった後に、安全だと言われてもなかなか最後まで客足が戻らなかったと、私の友人のレストラン経営者も嘆いていました。

岩谷:「行ったら悪いんじゃないか」というのが日本人の考え方なのかな。

大使:「お取り込み中に申し訳ない」という感じですかね。

正確な在留届が、安否確認には必須

谷村: 情報が錯綜していたという話だけど、日本人が300人位巻き込まれたと、地元日系新聞にでていた。どういうことか調べたら、総領事館に日本から300件くらい問い合わせがあった。それは例えば10年前位にNYに息子が音楽の勉強に行ったとか、5年前に娘がダンスの勉強に行ったけれど、この1年くらい連絡がないので調べて欲しいというもの。そういうのを総領事館が一つ一つ調べて、追跡して、その人達はNYにはいなかったとつきつめ、巻き込まれていなかったと伝えたらしい。その時に思ったのが、日本の親って甘いなって。普段自分で連絡してない子供に、こういう時にどうにかしてくれって政府に言うのはどうしたものか。

大使:総領事館の立場で言えば、正確な在留届を出して欲しい。 昨年、アッパーイーストで起こった飛行機追突事件のときに、在留届を元に10世帯の日本人があのビルにいると判明した。しらみ潰しに一軒一軒調べました。実はこれだけでも結構な作業なんです。あの時はアクセスも大変だったので。結局、10世帯中、2世帯だけがそこに住んでいた。8世帯がすでに転出し、その他に2世帯が新たにそこに住んでいたのがわかりました。なので、当たってる率と言うのはたった2/12なんです。それを、ここに住む在留届けの出ている日本人6万人を調べるようであれば、お役人だからそれ位やれって言われるのはわかりますが、実に不効率な作業になり、肝心な仕事ができなくなります。この場をお借りして言うのであれば、在留届は常にアップデートしておいて頂くのが皆様のためになります。大企業の方は転入のときにはやるんですが、転出のときはやらないので、これをつぶしていくのも大変なんです。

岩谷:困ったときの政府頼み。親も知らないことを政府が知るってこともどういうことかと思いますよね。

大使:在留届だけは、ちゃんとやってくださいねというお願いです。

あらゆるネットワーク、日系コミュニティーの必要性

谷村:総領事館のネットワークもあるでしょうけど、こんな話もありました。米系の企業で働いていた日本人が行方不明になりました。その人がICUの卒業生で、動いたのがICUの同窓会だったのです。所属するコミュニティーがいくつもあれば、それぞれが割り出していく。 安否確認をそれぞれの立場で、重層的にやっていけばうまくやっていけるのでしょうね、総領事館だけに頼らずに。

岩谷:それがこれからの課題なんでしょうね。以前、私が企業にいたときには、企業が安否確認をしてくれた。しかし、今は企業を引退している。*アメ★ドリの会へ行くと、日系でない航空会社に勤めるグランドホステスやスチワーデスの皆さんなどがたくさんいらっしゃる。また、コーリンさんのようにこっちで立派に立ち上げた日系企業もたくさんある。つまりアメリカに来て起業されて、こちらに根をおろして、きっちりやられている人の把握とか、集まりがないんですよ。

大使:そういう人達のデータが限りなくないんですよね。在留届をだしてもらっていないことも原因ですが。

岩谷:そういう人達も、商工会議所と同じような組織、仲間ができたらいいなと思います。だから、アメ★ドリ会はひとつのすばらしい組織だと思いますね。

大使:同感ですね。とても重要な役割だと思います。「ジャパンデー」をやったのもあまりにも日本人同士が知らなすぎるから。みんながあえる場を提供したいと思いました。そういう意味ではアメ★ドリがやられている異業種交流会はすばらしい試みなんでしょうな。

川野:こういう皆様が(アメ★ドリの会を)バックアップしてくれるから、会が非常に充実したものになって、他の企業の方も真剣に捉えてくれていいですね。私も、岩谷さんに連れられ参加しましたが、毎回色々な方々におあいできるし、ゲストスピーカーもすばらしいので、参加するのを楽しみにしています。

板越:有難うございます。初め、この会はローカルな仲間うちだけでやっていましたが、今ではここにいらっしゃるようなすばらしい方々にも参加、応援していただけるようになりました。最近では、日本から進出してくる大手企業や団体の方々が「まずはアメ★ドリ会に参加して」と、おっしゃってくれるようになりました。うれしい限りです。

コミュニティー内で情報の共有、助け合い

川野:ただ、日系のコミュニティーではアメリカの情報へのアクセスが限られている。なので、私もできるだけ、アメリカ人から教えられた情報を共有したいですね。

板越:何も日本人同士が集まって、徒党を組むと言うわけではなく、9.11のような危機があったときに助け合えるネットワークになるのが、このアメ★ドリ会の原点であります。現地が長い日本人の参加が多いのもアメ★ドリ会の特徴でもあり、そういう人たちは現地人化して、アメリカ人とのアクセスも多く、アメリカ情報網も持っていると思います。なので、こちらに来たばかりの駐在員の方々とも有益な情報を共有できると思います。組織の中での情報交換が肝要ですね。

また起こって欲しくはないですが、今では、惨事が起こった時に日本人コミュニティーは頼りになります。前は、領事館にアクセスするのにも門前払いされるのかな、お役所待遇をうけるのかな、と心配でしたから。

川野:そうですよね、今は「顔の見える大使」ですから、何かあったときに、領事館の門は開いていますよね。嬉しいですよね。

板越:最後に、日本企業の日系コミュニティーへの貢献のあり方についてお考えをお聞かせください。

岩谷:既存の団体など、もっと皆で歩み寄ればいいのにな、と思います。例えば、大企業の社長がコミュニティー活動に来るのは大変でも人事部が参加すればいい。ジャパンデーのように、ここに住んでいるみんなで何かができればいいですね。困ったときは助け合い、楽しいときは分かち合う。人事部がいいのかわからないけど、何か共同で歩めればいいと思う。前回、キヤノンの足達社長がアメ★ドリ会に来てくれたように。

実は、今年に入って*ABPSの幹事長になり、この会の著名な会員の皆さんとのヒューマンネットワークや経験を、若いアメ★ドリ会の皆さんに繋げれば、双方が活性化しあいながら協力関係が築けるんではないかと思っています。これから「団塊の世代」が会社を卒業する中で、出来るだけ多くの人が起業するなり、若い起業家を育てるなりして、第2の現役人生を輝かせれば、アメリカにおける日本コミュニティーはより住みよい環境になるような気がします。

一同:これからもすばらしいネットワークを作ってください。

板越:今日は有難うございました!

(敬称略)





アメ★ドリの会。弊社アメ★ドリがネットワークするアメリカン★ドリーム倶楽部(NY異業種交流会)の略。現NPO法人JaNet。

* 「ジャパンデー@Central Park」の略。6月3日にセントラルパークで、日本の伝統文化・現代文化を紹介するイベントが行われた。

ABPSは元ブラザーの郡司会長やミノルタの楠本名誉会長など、アメリカで活躍された社長など50名で組織されたコンサルティング・グループ。


イベント情報
@New York
9月11日(金) NY異業種交流会 「ニューヨーク・スローライフとは」
9月10日(木) ABPSビジネスセミナー 「NYで起業する!」

@東京

9月25日(金) 東京NY異業種交流会 ミニライブ&トーク 庄野真代

mixiやってます。「ニューヨーク会」で検索して下さい。

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