ニューヨーカーの条件
第23回 日本に帰るカッコよさ
様々な夢をひっさげて、たくさんの人々がNYにやって来る。
ここに来る決意は並大抵のものではない。
しかし去る決意もなかなかもののだ。
私は今年で在米22年。特にNYにこだわり続けたわけではない。
ただ自分のやりたいことを一心不乱に続けてきた結果、
気がつけば人生の半分以上をアメリカで過ごすようになってしまった。
アメリカで骨を埋めるつもりかといわれると疑問に思う。
海外生活の経験のある人はわかってもらえるかと思うが、
海外に住むとやはり母国は日本だという思いは強くなる。
しかしNYに住んでしまうと、日本に帰ってしまうのがなぜか「負け」のような
感覚に陥ってしまうから不思議なものだ。
そこでなかなか、日本へ帰れないドリーマー達が多い。
錦を飾れなければ帰国できないと・・・。
幕末時代の中濱万次郎ことジョン万次郎をご存知だろうか。
漁師の手伝いで漁に出て漁師仲間と共に遭難した。
そこを、アメリカの捕鯨船に救助された。
そしてアメリカ人船長に気に入られ、本人も希望し、
そのままアメリカに渡ったという人物だ。
アメリカでは英語と造船に関しての知識を得た。
故郷を離れて十年の月日が経った後、彼は帰国を決意する。
脱藩で死罪の時代にあえて鎖国の日本に帰ろうとした。
帰国後は、奢ることなく謙虚であったという。
様々な面で日本より進んだ異国を見て、他のどの日本人も知らない
知識を豊富に身につけているのだから、アメリカにかぶれ日本人を
見下してもおかしくは無かった。
しかし彼はあくまでも謙虚だった。
幕末後は、政治家にならないかという誘いもあったという。
しかし彼はあえて教育者としての道を選んだ。
そして、幕末の日本で、黒船来航でもしられる日米和親条約の締結に尽力し、
激動の時代における影の重要人物となった。
日本にいれば読み書きもできない漁師で終わったであろうに、
遭難という人生最大のトラブルにあいながらも開成学校(東京大学)の教授にまでになる。
アメリカでの経験が彼の人生を大きく変え、彼の母国も大きく革って変っていった。
また、多くの幕末の志士にも影響を与えた。もし、ジョン万次郎が遭難しなかったら、
あの坂本龍馬の「船中八策」、福沢諭吉の「学問のススメ」も、
岩崎弥太郎の三菱財閥の存在もなかっただろう。
彼らはジョンマン万次郎の経験談から多大に学んだのである。
日本に帰ることが「負け」のような感覚を知らず知らずに身につけてしまってはいないだろうか。
しかしそれは決して恥ずかしいことではない。
むしろそこからが海外経験をつんだ日本人としての本番が始まるのかもしれない。
少しおこがましいいいかたかもしれないが、海外で学んだことを祖国へ寄与すればいい。
アメリカが居心地がよいから、あるいは刺激が沢山あるからとどまる。
そしてアメリカに住むのがカッコいいという考え方はもう少々古いかもしれない。
日本に帰るカッコよさも認識の中に位置づけておこう。
日本で果たして自分がどう「活きる」のか考えることもなかなか乙なことだ。
どんな形の滞在であったにせよ、渡米する前と後での自分は必ず違うはずだからだ。
イチロー選手がメジャーリーガーを引退したら、アメリカが快適だからと安住するのではなく、
是非祖国日本のためにこちらで身につけたこと、学んだことを寄与して欲しいと切に願う。
私の中で完全帰国という選択はまだまだ先のことになりそうだが、
そろそろアメリカで学んだことを祖国日本へ貢献したいと感じ始めた。
板越ジョージ
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